今はどうだか分からないがつい20年ぐらい前までは当たり前のように知的障害者の去勢が行われていた。特に女性知的障害者は子宮をまるごと摘出されていた。
知的障害者でなくとも身体の不自由な重度の女性障害者も去勢されていた。
20世紀後半の日本で行われていたのだ。
女性知的障害者に経血の処理の仕方が出来ないとはなから決めつけて、身体と尊厳を丸ごと削り取ってきたのだ。
女性介護者に「月経の処理は面倒臭いだろ」、母親達に「出産させたら可哀想だろ」と男社会は騙して荷担させてきた。
男性障害者も去勢されていたけれど、女性障害者の子宮摘出はもっと辛いだろうよ。
これに女性活動家とフェミニストと女性障害者本人達が異議を唱えて子宮摘出手術(と男性の去勢反対もした)をさせないようにしたのだ。
女性が権力に立ち向かうのは非常に大変だ。特に女性障害者は大変だ。けれども、生殖の権利を勝ち取ってきたのだ。
逆に、無茶な妊娠出産をさせない、安全な堕胎の権利を勝ち取るフェミニスト団体もある。生めるかどうか生むかどうかは本人が決めることであって男達が制御して良いわけではない。
いかなる堕胎でも女性本人は心と身体の傷を負う。堕胎した女性ばかり責める男達は孕ませた男達を放置して、正義の仮面を被っている。
避妊ピルを飲ませたりと色々方法はあったはずなのに、日本政府と男社会はわざわざ子宮摘出をしてきた。酷い歴史だ。
その一方で女性に無茶な妊娠出産を強要させる。
男社会は女性を支えるどころか迫害してきた。
女性障害者の子宮摘出なんて二度とするなよ。
そして生むかどうかは女性本人が決めること。妊娠出産は命がけなのだ。
女性障害者には是が非でも生みたい人もいれば、生みたくない人もいる。どちらも尊重されるべきなんだよ。女性健常者も同じ。